それから私にプロポーズ

二階堂高嗣くんに魅了され戸塚くんも好きになりどっぷり浸かった沼から少しずつ生還してきた、ジャニーズからの卒業を目論んでいるモラトリアム期の20代。

ツイッターをやめてみた

 

私は二階堂くんを好きになってから、二階堂くんへの愛を綴るためのツイッターアカウントを取得しました。

始めたのは確か2013年の年末頃。

年末と言えば音楽番組がてんこ盛りで、リアルタイムで写真を流しつつ『二階堂くんかっこいい』『スノドのこの振りが好き!』『いまニカちゃん舌ぺろって出した!』と盛り上がる楽しさ…

それまで一人で抱えていた愛しさを全て吐き出すかのように、ツイッターで二階堂くんの良さを共有することにのめり込んでいきました。

そして2013年の12月といえば忘れもしない舞祭組のデビュー。

とにかく話題に事欠かない、楽しい時期に始められたのだと振り返ります。

 

そして私は軽いファンのつもりだったのに、気づいたらどんどんジャニーズにのめり込むことに。

ツイッターを始めたことで、二階堂くんやキスマイだけではなく、えびやじゃんぷ、さらにはJr.と、どんどん世界が広がっていきました。恐ろしいことに。

情報もとにかくはやく飛び込んできます。

歌番組だけではなく、バラエティーに出ることや、ニュースまで。

CDのリリースや雑誌の情報やコンビニとのコラボまで。

さらにはロケの情報までリアルタイムで入ってきます。

恐ろしい情報社会。SNSの力は偉大。。

 

自分のペースで楽しめば良いと分かってはいるのだけれど、

同じ舞台に何度も行くようになり(銀英伝

同じコンサートに何度も行き(これは昔から)

それでも物足りない、どうせなら全て行きたいと思ってしまうようになりました。

 

二階堂くんが出る番組はすべて見たい、雑誌も見たい、

会いに行ける機会はすべて行きたい、グッズも全部欲しい。

新しい写真が出たらすぐに手に入れたい。どうせなら全部欲しい。

どんどん、最初の純粋な好きという気持ちから離れて、形に捉われている自分に気づきました。

 

好きなら情報を追うのが当たり前、コンサートに行くのが当たり前、

グッズを買うのが当たり前、雑誌を買うのが当たり前、CD全種類集めるのも当たり前。

それが間違っているとか、そういうことではなくて、限度があるのかなとふと思ったのです。

こういう形で応援していくのは私には合わないかもしれない、と気づきました。(破産したり、ジャニーズに嫌気がさしたりする前に気付いてよかった。)

そういう経緯で少しずつツイッターを離れていき、そうする中での自分の応援スタイルも確立してきた気がするので、始めてから2年が経った2015年の年末、しれっとツイッターをやめてみました。

舞祭組が無事にアルバムを出す運びとなったらきっと自分の思いのたけを吐き出したくなるんだろうけれど、今のところ支障はありません。

でもこのブログのツイッターのリンクの消し方が分からない…

もしもの話。

 

久しぶりに何かを書こうと思ったのは、田口くんの突然の発表に動じたからです。

脱退だったり、結婚だったり、デビューしているから大丈夫とか、

絶対だなんてやっぱり存在しえないんだなぁと実感させられました。

 

キスマイも i の方がいなくなった過去のように、

今後誰もいなくならないという保証はないわけで。

その対象が二階堂くんである可能性だって0ではないわけで。

 

どんなにグループのことを愛していても、どんなにメンバーのことが好きでも、

どんなに一生懸命お仕事に取り組んでいても、それでも、

ファンに見せている顔がすべてではないから、

汲み取れないことばかりなのかもしれないです。

 

アイドルにとってのファンは、大勢の中の一人でしかないけれど、

ファンにとってそのアイドルはたった一人の特別な存在です。

 

だから、いなくなってしまったから次なんて、簡単に割り切れるものではありません。

 

こんなことを言いつつもファンは勝手な存在だから、

大勢のうちの一人がいないところで何も変わらないことを知っているから、

しれっと離れることだってできます。

それでも、また黙って戻れるような存在でいてもらいたい。

時々テレビで見かけたり、どこかで曲が流れているのを聴いて、

ふと思い出してしまうようなそんな存在でいてもらいたい。

 

ずっと手の届かない存在でいてほしい。

急に降りてこられても、戸惑ってしまうだけだから。

 

いなくなってしまうその日は、いつなんだろう。

二階堂くんのことを見られなくなってしまうのは、いつなんだろう。

終わりが見えなくて、終わりが来るなんて思えなくて、

とっても遠い日のように思えるから、油断をして離れてしまうけれど。

 もしも を思うだけで切なくなってしまうくらい二階堂くんのことを好きでいられる今は、もっともっと目いっぱい、いつか後悔しないためにも好きを伝えるべきなのかもしれないと、思いました。